1/14/2012

豆乳ロールケーキ

昨年は大変な震災の年となりました。わたくしが千枝さんと知り合ったのは、甥の婚約者として紹介された1年数か月前です。年が明け3月の誰も想像し得なかった東日本大震災、私の故郷宮城も被害を受けました。2度目に彼女に出会ったのは、まだその傷も癒えぬ5月末、2人の結婚式の時でした。

私が驚いたのは、ウェディングケーキを千枝さんが自分で作っていた事とその味のすばらしさでした。今まで食べた事のない豆乳のやさしい香りのするケーキでした。

ご両親の営むお豆腐やさんで、彼女は、その豆乳を使ったケーキを作っているケーキ屋さんでした。
それから事あるごとに、豆乳ロールケーキや、野菜クッキーを送ってもらっています。千枝さんが、被災体験を送ってくれたので、ご紹介します。


3月11日14時48分、細かい横揺れと共に携帯そしてラジオの緊急地震速報が鳴って、急いで外に出ました。
そのとたん立っていられない程の揺れが・・・。ぐるぐると回るような揺れでした。
一度治まるかに思えた揺れがまた激しくなり、「宮城県沖がついにきたか」と思いました。
防災無線が鳴り、家族全員で家の前の道路に出ました。

大津波警報も鳴り、余震が続いて、ずっと揺れているようでした。
豆腐の500Kg位ある機械が倒れ、お菓子のスポンジを焼いていた大型オーブンも、棚から落ちて流れ出ていました。
いろいろなものがそこらじゅうに散乱...。家の中はタンスが倒れテレビが落ち、冷蔵庫のものは、飛び出していました。
雪も降ってきて寒さも加わり、、何から手をつけていいかわからない状態でした。
電気が止まり、水道も出ないので、片づけと言っても落ちているものを拾うだけ。

携帯のメールで、夫や妹とやり取りをして、やっと一安心と言う感じでした。
それから10日間ほどは、暗くなったら寝て、日が出たら起きる、情報はラジオから、と言う状態で、仕事もできず、開いているスーパーを自転車で探す毎日でした。

地震から2日間は、冷蔵庫が止まったため、うちにあるだけの豆腐、あぶらげ、お菓子は、全て近所や、デイサービスセンターなどへ配りました。水につかった大豆は、全て腐って・・・、仕事ができないことが、こんなに辛いとは思いませんでした。
携帯も3日間位は圏外が続き「昔の生活ってこんなだったか」と思わされました。

夜は寒いので、ペットボトルに石油ストーブで沸かしたお湯を入れて、湯たんぽ代わりにして寝ました。
2週間後やっと業者さんと連絡が取れました。500Kgある機械を近所の人に手伝ってもらって立て、
やっと修理が始まり、豆腐も少しづつ作れるようになりました。

卸先のスーパーからは、「あるだけ持ってきて下さい」言われうれしかったです。
お菓子の方は、オーブンの修理に時間がかかり、1ヶ月後にやっと作れるようになりました。それからは、少しづつ元に戻った感じです。

私のすいーつに対する考えは、体にやさしい、カロリーが少ない、砂糖も少なく、豆乳や野菜で、健康になってもらいたい、というものです。
全て手作りで、着色料や保存料も使わない、無添加で作っています。

すいーつ畑ふしみ