1/28/2012

折り紙の孔雀です

2人のお客様が下さいました。1つは孔雀、もうひとつはお花のつくりかけです。私がネパールの子どもたちに日本の折り紙が教えたいといったら持ってきてくれました。頑張って覚えます。

1/22/2012

ネパール里親基金

サンワ インターナショナルアカデミー クリシナ ダカール先生のメッセージ

Krishina

ナマステ1(こんにちは)

自ら学費を賄う事のできないネパール人の生徒への寛大な支援に対し心からの感謝の意を表したいと思います。

私たちの学校は、文化的、経済的に退歩している家族に実践的な教育を供給する為に設立されました。

私たちの学校は、首都カトマンズの郊外畑に囲まれた田舎の方に位置します。多くの生徒たちは、多くの生徒たちは、遠く離れたへんぴな所から通っていますが、彼らの家庭の多くは、生涯にわたって不便な貧しい生活を強いられています。子供を学校に通わせる事の難しい多くの親たちは、子供のより良い教育を願い本校への入学を希望してきます。

本校には、さまざまな生徒がいます。孤児、片親家庭の子供、、極貧家庭の子供、内戦の犠牲者、低賃金取得家庭の子供などです。彼らの大部分は、頑張って働いているけれども、全ての家族のお腹を満たすには、とても足りません。

本校は、私立校ですが、非営利の目的の学校として政府に登録されています。現在プレイグループ(2才)から、8年生までで、320名の生徒が学んでいます。

日本の皆様の暖かいご支援のおかげで、多くの生徒たちが、質の高い教育を受ける機会が、与えられました。

父兄の方々や地域の人々は、このプロジェクトに対してとても喜ばれています。またネパールの政府もこのプロジェクトの内容を知って、感謝の意を表しております。

日本の皆様の包みこむ親の心に対して、尊敬と感謝を申し上げます。

1/18/2012

ネパール里親基金

ソンワ インターナショナル アカデミー テレサ キテル校長先生のメッセージ」です。

ネパールのラリトプール地域にあるソンワ・インターナショナル・ アカデミーのスタッフと生徒より心からのご挨拶を申しあげます。私たちは、日本の里親の皆様に、いくら感謝しても、感謝の気持ちを表しきれません。

皆様のご協力によって貧しい家庭の生徒たちが、継続して教育を受ける事が出来、彼らに明るい将来への希望を与えて下さいました。

私の生まれ故郷はオーストリアですが、結婚によってアメリカ人となりました。家族と共にネパールに滞在するようになってから、ボランティアで、英語の教師として、また校長としてこの学校で働いています。

勤めはじめてから4年が経とうとしています。それはネパールでの私にとって、とても価値ある時間を過ごさせて頂いたと感じております。それは、奉仕の人生を生きたいという少女の頃から願っていたことでした。ネパールの文化や生活様式に触れることは、私の家族にとっても有益なことです。私の2人の娘にとっても、ネパールで生活し勉強する事によって、彼女たちにとって、とても価値ある事をネパールの人々から学ぶことができています。ネパールの社会は、とても家族関係を大切にします。また目上の人や教師、上の兄弟姉妹を驚くほど尊敬します。

今年2011年は、ネパールにおいて観光年となっており国際社会との関係を持とうと取り組んでいます。

そこで私は、里親の皆様もこの機会にネパールにお越しになって、貴重な里子にお会いになられたらいかがでしょうか?ネパールにお越しになるには、空気が澄んでいる10月から3月までが、ヒマラヤもよく見えて良いシーズンです。その時は、私たちは、心より歓迎いたします。

今回、里親プロジェクトの開設式をおこないました。地元の教育委員会関係者、元村長をはじめ、地域の人々、里子の父兄も参加しました。また日本大使館からも大使の代理として書記官の方がおいで下さり、おほめの言葉

を頂き大変感激しました。里親を持った生徒たちは素敵なペンケースや、文房具を頂きとても喜んでいます。

みんなそれらを特別の物として大切に使っています。

最後に今一度、皆様がこのネパール里親基金を通して私たちに手を差し伸べて下さり、皆様の愛を分け与えて下さった事を心より感謝申し上げます。

皆様のなされる全てのことがらに、豊かに神の祝福がもたらされる事を願います。 2011年 8月 30日

1/17/2012

ネパール里親基金

里親基金のあらまし

教育資金年間里子一人当たり 12,000円

内 訳 教育奨学金 8,000円

文房具 2,000円

諸経費 2,000円

(翻訳通訳費、通信費、交通費、紙、印刷代)

今後里子の人数を増やすことにより、諸経費の割合を減らし教育奨学金の割合を増やせるよう努力いたします。

1年間、特定の子供の奨学金を担当して頂くもので子供に対しそれ以上の責任を負うものではありません。

お手紙を出したい方は、お預かりする事ができますが、物品は、お預かりすることはできません。

1年後、同じ子供の奨学金を担当して頂くお願いのご案内を送らせて頂きますが、強要するものではありません。

ネパール里親基金はいつでも申し込みができます。お知り合いで関心をお持ちの方がいらっしゃれば、パンフレットをお送りいたします。お気軽にお尋ねください。

03(3725)2251 ネパール支援の会 三船みち子

1/16/2012

ネパール教育の現状

ネパールはアジアの中でも最も貧しい国と言われています。他の途上国同様、貧富の差が大きく、特に子供達の教育を受ける権利にその差が顕著に現れています。
ネパールの教育の現状を表す数字としては、識字率があり、ネパール政府の発表によれば、36%です。しかし実際は、26%とも言われています。

また男女格差が、南アジア地域は大きく、ネパールも例外ではありません。女性は男性に従うもの、という社会的通念から、「女性に教育は不要である」ということが常識になっている村もいまだに多くあります。

ネパール女性の成人識字率は男性の37%に対し、11%といわれてます。現在では、小学校には90%の子供達が入学しています。しかし、1年で中途退学する子どもが多く、卒業できる生徒は、男女合わせて4分の1です。

退学する理由は、学費が払えないことと、重要な労働力であることがほとんどです。­学校はネパール全土で1000校が不足しているといわれています。

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ネパールの国旗

1/15/2012

ネパール里親基金

多くの皆様のお力を頂き昨年4月「ネパール里親基金」をスタートすることができました。
「サンファ インターナショナル アカデミー」は、日本からの支援により土地から探して建てられたネパールの小学校です。首都カトマンズの郊外のテチョ地域と言う所にありますが、2007年に建てられた頃は、周りは四方が畑だったそうです。

今は、内乱により沢山の人が首都に集まる様になり家がたちましたが、まだ畑がここそこにあります。冬はヒマラヤ山脈が、四方に見渡せる気持ちの良い環境にあります。
私は4年ほど前初めてこの学校を訪れました。2010年8月、ディレクターのクリシナ ダカール先生と話し合う機会を持つことができました。
 
そこでこの国が10年以上もの間内乱が続き、多くの孤児が生まれたこと。国自体がアジアの極貧国であり、子供たちの多くが働き手であるため、入学しても卒業まで行ける子供が少ないこと。
そんな中でこの学校は、孤児院に入所している戦争孤児をできる限り多く無償で引き受け、貧しい家庭の子供達をできるだけ多く無償
 
でひきうけてきたことを知りました。そのため経営は、常に困難な状況にあり、先生方も校長先生はじめスタッフの方々のボランティア精神により成り立っているのが現状でした。

私たちに手助けできることはないか。日本に持ち帰りボランティアの仲間に相談しました。そして子供達ひとりに対しひとりの支援者を見つけてあげると言う里親制度を知りました。
 
私は2010年8月から2011年8月まで4回ネパールに足を運び日本とネパール両方で検討を重ねました。

そして、昨年1年間で67名のネパールの子ども達に里親になって頂く方を見つける事ができましたた。

現在新たな里親を募集しており、今年もまた3月に里親奨学金を届けにネパールに行く予定です。
関心のある方は、是非お問い合わせください。今後HPもアップする予定です。
 
090-9851-5656 三船みち子

1/14/2012

豆乳ロールケーキ

昨年は大変な震災の年となりました。わたくしが千枝さんと知り合ったのは、甥の婚約者として紹介された1年数か月前です。年が明け3月の誰も想像し得なかった東日本大震災、私の故郷宮城も被害を受けました。2度目に彼女に出会ったのは、まだその傷も癒えぬ5月末、2人の結婚式の時でした。

私が驚いたのは、ウェディングケーキを千枝さんが自分で作っていた事とその味のすばらしさでした。今まで食べた事のない豆乳のやさしい香りのするケーキでした。

ご両親の営むお豆腐やさんで、彼女は、その豆乳を使ったケーキを作っているケーキ屋さんでした。
それから事あるごとに、豆乳ロールケーキや、野菜クッキーを送ってもらっています。千枝さんが、被災体験を送ってくれたので、ご紹介します。


3月11日14時48分、細かい横揺れと共に携帯そしてラジオの緊急地震速報が鳴って、急いで外に出ました。
そのとたん立っていられない程の揺れが・・・。ぐるぐると回るような揺れでした。
一度治まるかに思えた揺れがまた激しくなり、「宮城県沖がついにきたか」と思いました。
防災無線が鳴り、家族全員で家の前の道路に出ました。

大津波警報も鳴り、余震が続いて、ずっと揺れているようでした。
豆腐の500Kg位ある機械が倒れ、お菓子のスポンジを焼いていた大型オーブンも、棚から落ちて流れ出ていました。
いろいろなものがそこらじゅうに散乱...。家の中はタンスが倒れテレビが落ち、冷蔵庫のものは、飛び出していました。
雪も降ってきて寒さも加わり、、何から手をつけていいかわからない状態でした。
電気が止まり、水道も出ないので、片づけと言っても落ちているものを拾うだけ。

携帯のメールで、夫や妹とやり取りをして、やっと一安心と言う感じでした。
それから10日間ほどは、暗くなったら寝て、日が出たら起きる、情報はラジオから、と言う状態で、仕事もできず、開いているスーパーを自転車で探す毎日でした。

地震から2日間は、冷蔵庫が止まったため、うちにあるだけの豆腐、あぶらげ、お菓子は、全て近所や、デイサービスセンターなどへ配りました。水につかった大豆は、全て腐って・・・、仕事ができないことが、こんなに辛いとは思いませんでした。
携帯も3日間位は圏外が続き「昔の生活ってこんなだったか」と思わされました。

夜は寒いので、ペットボトルに石油ストーブで沸かしたお湯を入れて、湯たんぽ代わりにして寝ました。
2週間後やっと業者さんと連絡が取れました。500Kgある機械を近所の人に手伝ってもらって立て、
やっと修理が始まり、豆腐も少しづつ作れるようになりました。

卸先のスーパーからは、「あるだけ持ってきて下さい」言われうれしかったです。
お菓子の方は、オーブンの修理に時間がかかり、1ヶ月後にやっと作れるようになりました。それからは、少しづつ元に戻った感じです。

私のすいーつに対する考えは、体にやさしい、カロリーが少ない、砂糖も少なく、豆乳や野菜で、健康になってもらいたい、というものです。
全て手作りで、着色料や保存料も使わない、無添加で作っています。

すいーつ畑ふしみ