7/29/2011

下川貴久枝様の体験談2

■瀕死の交通事故


赤裸々にご自分のお身体のことをお話しいただき、またサラのこともそんな風に言っていただいて本当にうれしく思います。さてそんな中突然下川さんの交通事故のニュースが飛び込んでまいりました。


はい。約5年前、感謝と幸福の日々に起こった、突然の思いもかけない交通事故でした。しかも旅先の徳島県鳴門市でのこと。正面衝突で、助手席に座っていた私は、骨盤の粉砕骨折、左膝骨折、肋骨6本8か所骨折、それが肺にささり血気胸、恥骨骨折、出血多量で意識不明の瀕死の状態。


5リットルの輸血で命を取り留めたものの、輸血の副作用で全身、白目まで真っ黄色の黄疸を併発。それが2か月寝たきり、半年の車いす、1年3カ月の過酷なリハビリ生活の始まりでした。 自分の意志では1ミリも足を動かせない自分に気づいた時、私は人生を半ば諦め、「もう、人生は終わった」と神様を恨みました。今までの幸せな日々の記憶が却って自分を苦しめることになるなんて、思いもよらない絶望感に襲われる毎日でした。 「もう、三船先生にも会えないんだ・・・」と。


8時間に及ぶ骨盤の修復手術と様々なリハビリのお陰で、ようやく起き上がれるようにりましたが、今でも骨盤には2枚のチタンと12本のボルトが入ったままです。 ひたすら東京に帰りたくて、過酷なトレーニングの末、車いすに乗れるようになり、80日間を過ごした徳島から飛行機と介護タクシーで川崎の関東労災病院へ転院。今度は、松葉杖との闘いが始まりました。